カレーハウスCoCo壱番屋 創業者 宗次 德二

感謝の気持ちを忘れずに、コツコツと地道に継続し続ける

カレーハウスCoCo壱番屋 創業者 宗次 德二

みんなが知っているカレーの「CoCo壱番屋」。ココイチの愛称で知られるカレーのCoCo壱番屋は、現在全国に1000店舗以上もある。またハワイや上海、台湾まで店舗を出店している。そのココイチの創業者、宗次德二は想像を絶するほどの人生を歩んできた。両親もいない極貧だった少年時代、荒れ狂うギャンブル好きの養父。数々の困難を乗り越えてきた宗次は、人に対する「感謝」の気持ちを常に忘れずに、見事1000店舗を達成し、東証一部に上場を果たすことができた。
※下記はベンチャー通信18号(2006年4月号)から抜粋し、記事は取材時のものです。

―まず、商売人に必要な心構えって、何ですか?

宗次:何よりもまず、「お客様第一主義」ですね。自分たちのことは二の次で、お客様に身を捧げる。私は、現役の経営者だった時(2002年5月31日をもって現役引退)は、社外の交友関係などは一切広げずに、常にお客様のことだけを考え続けていました。自分に期待してくれる人に少しでもお返しをしたい。だから時間も体力も無駄遣いしたくなかったんです。

経営者の中にはちょっと成功すると、初心を忘れて、社外の交友関係に目がいってパーティーにばかり参加したり、派手に遊んだりする人もいます。でも、そんな経営者は長くは続きません。本業のこと以外に気を取られてはいけないんです。お客様や取引先、そして社員のことを常に考えなければいけません。

やはり、商売の基本というのは、コツコツと地道に地に足を付けて一生懸命にお客様のために頑張ることだと思いますね。そうすれば、急激な成長はしなくても、5年、10年のスパンで見れば、ずっと右肩上がりが続くんです。

また、ライバル業者などの同業者に気を取られすぎるのも良くない。ライバル会社がこうしたから、自分の会社もこうする。そんな信念の無い経営をしていてはダメです。

―最近、若いITベンチャー起業家が多いですが、宗次さんはどのように思いますか?

宗次:最近の若い人たちは幸せだと思います。いまの日本は昔に比べてチャンスが溢れている環境です。だから、そのチャンスを活かして、失敗してもいいから何でもチャレンジするべきです。やはり失敗しないと”本質”は見えないと思います。失敗していない人は、上辺のことしか見えないんです。情熱を持って諦めずにやり続ければ、必ず結果がついてきます。やり続ける中で、社会から評価されることはそのまま継続する。失敗したことは教訓として活かす。この姿勢が大事ですね。

若いうちはさんざん苦労したらいいと思います。苦労は経験という宝になります。私も若い頃に”お金”と”人材”でたいへん苦労しましたが、その苦労が後の人生の大きな糧となりましたから。

成功する起業家は、みんな誠実で謙虚

―成功する起業家の共通点って何だと思いますか?

宗次:やはり「誠実さ」ということだと思います。誠実な人でないと、部下も信頼して付いていかないでしょう。打算や利害だけで人と付き合う人はダメです。経営者は、心と心の関係を築かないといけません。社員との関係も心と心。お客様との関係も心と心。打算や、自分中心の考え方では絶対にダメです。

他には、「謙虚さ」ですね。謙虚な心を常に忘れない。これが大事です。

―宗次さんは、自分が儲けたいなどの気持ちはなかったんですか?

宗次:はっきり言って、全く無かったです。ずっと無かった。儲けたい、成功したい、という気持ちはありませんでした。ただ人に喜んでもらいたかったんです。

―どうして、そんなに欲がないんですか?

宗次:私は小さいころに徹底して鍛えられたんですよ。雑草を食べて育ちましたから。15歳まで誰からも見向きもされなかったんです。本当に孤独な15年間でした。でも、その15年間で、私は徹底的に鍛え上げられたんです。

私は両親の顔を知りません。親がいなくて、孤児院で育ったんです。そして3歳の時に、宗次姓の養父母に引き取られました。でも、その養父がすごく荒れた性格でした。数百円でもあれば、それをギャンブルに使う性格。パチンコに行く毎日でした。私は掃除をしていないだけで、殴られたりもしました。すごく暴力を振るう人でした。時には荒れて、隣近所に包丁を持って暴れることもありました。そんな養父に愛想をつかして、養母は家を出ました。

そして残された私は養父と二人暮しをしました。まさに電気もなく、ろうそくの生活でしたよ。千円札なんて見たこともなかったです。自宅も家賃が払えずに追い出されるので、半年で転々とする生活でした。そんな生活を送りながら、「将来は誰にも頼らずに一人で生きていかなければ」と強く思いました。

学校から弁当を持ってくるように言われた時は、貧乏で弁当を持っていくことができずに、みんなが昼ごはんを食べ終わるまで、校舎の裏で一人じっと待っていることもありました。また家庭訪問も断った。4畳半の貧乏生活を学校の先生に見られるのが嫌だったんです。当時は食べたいものが満足に食べられませんでした。ごちそうといえば、煮干だったんです。そんな信じられないような生活が15歳まで続きました。

すごく孤独な人生でした。だから少しでも他人から関心を持ってもらいたかった。興味を持ってもらいたかったんです。それが私の原点になっています。だから、商売を始めて、お金を儲けるというよりも、人に喜んでもらいたかったんです。少しでも自分がいて良かったと言ってもらいたかった。

―その生活を抜け出すきっかけは何だったんですか?

宗次:高校に入学して、同級生の家でアルバイトをさせてもらったんです。ちょうど私の同級生が豆腐屋の息子だったんです。そこで早朝にアルバイトをさせてもらいました。毎朝その豆腐屋でアルバイトをさせてもらって学校に通いました。そのお金で高校の学費も払うことができました。もともとお金がなかったので、高校進学は諦めていたんですが、担当の先生に強く勧められて試験だけ受けてみたんですね。学費も自分で稼げるようになったので、何とか無事に高校は卒業できました。また、初めて自分でお金を稼いで、本当に嬉しかった。それまでは食べたいものが満足に食べられない生活だったので、お金を稼いで少しは生活も楽になったんです。

そんな義父でも、大好きだった

―ようやくドン底の生活から抜け出すことができたんですね。

宗次:そうですね。またちょうどその頃に、養父も亡くなりました。ほとんど栄養失調に近い状態で亡くなりました。死因はいちおう胃ガンだったんですが。

でも、そんな荒れた養父でも、私は大好きだったんですよ。暴力も振るわれましたが、私は大好きだった。職業安定所から年末に一時金として、少しだけお金をもらえたことがありました。その時に、そのお金で養父がリンゴを2つ買ってくれました。それくらいしか思い出らしい思い出はないんですが、その時の嬉しい気持ちは今でも覚えていますね。

―でも、そんな少年時代を過ごして、よくグレなかったですね。

宗次:勇気がなかっただけだと思います。気が小さかったんですよ。単に。

―話は変わりますが、最近の若い人たちは夢が持てないという人が多いです。どうやったら、夢や大志が抱けるんでしょうか?

宗次:大きな夢や目標など持たなくていいんです。まずは目の前にある目標を達成していく。たとえばウェイトレスをしているなら、誰よりも早くお店に行くとか、誰よりもお皿を綺麗に洗うとか。誰よりも努力してみる。私もサラリーマン時代は、誰よりも早く会社に出勤しました。

急には上には行けないものです。地道にコツコツと目標の底上げをしていけばいいんです。その継続の中で、大きなことが成し遂げられると思います。だから、今日一日を頑張ることです。私の場合は、大きな目標などは必要ないと思っています。小さい目標を達成して、それを継続する。それが全てだと思います。

 また、何でもいいから人から認めてもらうことですね。掃除でも何でもいいんです。そうすれば自分に自信がつきます。そこでも大事なのは、継続することなんです。意外に継続することは難しいんですよ。器用な人ほど、最初はうまくやるけど、継続はしない。勢いのある人もそうです。最初は勢いがあって、うまくいっても継続は難しい。だから、不器用でもいい。コツコツと地道に継続して、人から認めてもらう。その連続が素晴らしい結果を生み出しますから。

―宗次さんの座右の銘って何ですか?

宗次:「感謝」です。特に経営者は感謝の気持ちを常に持ち続けることです。経営なんて自分一人では何もできません。お客様、取引先、そして社員の方たちに常に感謝の気持ちを持ち続ける。私の場合は、苦労した生い立ちがあるので、自然と人に対する感謝の気持ちを持ち続けることができました。

その感謝の気持ちを持ち続けて、引退までやってこれました。これは本当に幸せでした。また、経営者にとって、お客様は最高の先生です。お客様からのクレームはファンレターです。私は現役の経営者の時、毎日欠かさず3時間半の時間を費やして、お客様からのアンケートハガキを読んでいました。その内容が厳しければ厳しいほど、本当に役立ちました。経営者の時の睡眠時間は、3、4時間程度でした。睡眠時間を削っても、お客様の声を聞くのを優先したかった。経営者は、楽しいことは社員と分かち合い、厳しいことは自分が引き受ける覚悟がなくてはいけません。

―最後に読者にメッセージをお願いします。

宗次:やはり「初志貫徹」ですね。初心を忘れずに、やり続ける。一時の成功よりも、継続することの方が大事なんです。どんなに失敗してもめげずに続けていく。その情熱が大事です。みなさんも地道にコツコツと頑張ってください。焦らないでいいと思います。
PROFILE プロフィール
宗次 德二(むねつぐ とくじ)プロフィール
1948年石川県生まれ。生後間もなく兵庫県尼崎市の孤児院に預けられた。3歳のとき、宗次姓の養父母に養子として引き取られる。養父のギャンブル狂が原因で各地を転々とし、最終的に名古屋市に落ち着く。愛知県立小牧高校卒業後、不動産関連の会社に入社。結婚をきっかけに独立。不動産仲介業を経て、64年に喫茶店「バッカス」を、65年には、二号店として「浮野亭」をオープンさせた。そして、68年、「CoCo壱番屋」の一号店がオープン。その後、フランチャイズシステムを確立し、日本だけでなく海外にも出店。2004年12月には1000店舗を達成。2005年5月には東証一部に株式上場。また、2002年5月31日をもって会長職を退き、現在、株式会社壱番屋の創業者/特別顧問。他には特定非営利活動法人イエロー・エンジェルも設立し、様々な慈善活動にも取り組む。
企業情報
設立1972年7月
資本金15億327万円
売上高593億円(平成17年5月期)
従業員数750名(平成17年5月末)
URLhttp://www.ichibanya.co.jp
※このサイトは取材先の企業から提供されているコンテンツを忠実に掲載しております。ユーザーは提供情報の真実性、合法性、安全性、適切性、有用性について弊社(イシン株式会社)は何ら保証しないことをご了承ください。自己の責任において就職、転職、投資、業務提携、受発注などを行ってください。くれぐれも慎重にご判断ください。

関連記事

ヤクルトと西武でトレード成立 山野辺翔が移籍「びっくりしている」

両球団が発表「皆さんとの思い出は、星の数ほどありすぎて持って…

石破首相夫人のワンピ姿に「下着つけてる?」「もっといい服を…」“見なきゃよかった”国民の複雑胸中

日本時間の4月27日、石破茂首相と石破佳子夫人がベトナムのハ…

发表回复

您的邮箱地址不会被公开。 必填项已用 * 标注